おばさんのひとり言

何かを批判する文章を書いたんだけど

それはそれで別の人の視点で考えたらやっぱり誰かを傷付ける悪い文章になってたりして、なんだか自分の心の居心地が悪いからやめた。

だけど私は世間の多くの意見に流されたくはないし、メディアや世論に踊らされたくもない。マイノリティ上等は変わらないし、私は私の意見を持ち続けたい。

だけどそれを世に出すのはリスクが高すぎる。特にネットの世界では自分の思っている事をさらけ出すのは危険だ。攻撃の対象になりかねない。

だからマイノリティな意見は掻き消されていく。正論だけが残る。強い。

正論は安全だ。正論を言っていれば文句を言われない。

だけど本当に正論だけで、その通りに生きていくのは生きづらい。人間てそんなに正論や正しい行いだけで生きていけない。少なくとも自分はそうだ。

だけどそれを許さない世の中になりつつあるのか。

本当のことなんて誰にも分からないのに、人の本当の気持ちも誰にも分からない。

ネットの世界なんてもっと分からない、分からない事だらけなのに、なぜそれが世論となってすごい力を持ってしまうのだろう。

誰がそんなに攻撃しているのだろう。AIかもしれないし、大人か子供かも分からない。特定の何かをよく思っていない人やそれをわざと潰しにきてる人かもしれないし、1つこうと思ったらひたすら攻撃を繰り返してしまう特性の人もいる。そんな人達に引っ張られて踊らされてるの?それでいいの?きちんと自分で色々な人の立場に立ってみて、気持ちになってみて、色々な角度から物事を見て考えなければいけないのに。

悪い事をした人とされた人、悪い事をした人がもちろん悪い奴だろ?世の中考えられないくらいの極悪人がいる。残忍な事を平気でするやつ。報道では悪い事をした方が加害者として報道されて、された方が被害者として報道されるけど、もし被害者が加害者を上回るヤバい奴だったら?

そんなの実際にその場にいてそいつに接しないとどちらが悪いのか分からないじゃん。て事でも状況を文章にするだけで悪い方が決まってしまう事もある。

芸能人のスキャンダル叩きほどくだらないものはない。

その感情をすべて世の中が良くなる方向へ向けてくれよ。信じられないくらいの殺人鬼とかサイコパスとか戦争を起こそうとするやつとかテロリストや世の中を牛耳る組織とか憎むべき敵は沢山いるんだよ。世界平和に力を注いでくれよ。日本の政治経済について考えてくれよ。その力を少しでも世の中が良くなるように動かしてくれよ。

そう思うけど、なかなかそういう事に大きな力は動かないんだよな。

生きづらい世の中になった。

昭和生まれのおばさんはそんな風に思うよ。